2019年02月09日
物部氏と石上氏との関係が明確になりました。
2015年12月6日の講演「ヤマト政権の中心に立ち続けた吉備」で関裕二氏は、
「左大臣・石上(物部)麻呂は、右大臣藤原不比等の陰謀によって失脚し、こののち日本は、藤原氏だけが栄える世の中に変貌していくのである。」と話されました。
石上(物部)麻呂(640〜717)縁の地が石上郷です。
676年に37歳で新羅に派遣されるまでの経歴は不明です。石上麻呂は『竹取物語』で「かぐや姫に求婚する5人目の公家」です。
『長船町史 通史編』が出版されたのは平成13年である。
長船と牛窓の首長墳に、亀田修一氏(岡山理科大学)は、吉備海部直一族を紹介し、
「そして名前はわからないが、別グループの豪族層がいたことを示していると考えておきたい。」と報告している。
しかし、その後、歴史学による研究報告はない。
石上郷について地名学により報告する。
「布都美神社は布都美村中央道路より西へ二三丁入った風呂の谷山の中腹にある。」と昭和28年の『赤磐市名鑑』にあるのが、石上布都魂神社(イソノカミフツミタマ)の正式名である。
「一説には崇峻の朝備前から大和に移されたと云うがそれを証する資料は無い」とある。石上布都魂神社の調査研究報告を検証し、先史学と地名学にて報告する。
「貴船神社の奥宮本殿解体修理と附曳(ふびき)神事 150年ぶりに行われた特殊神事」の「貴船神社創建の伝説 龍穴」に、
「奥宮本殿の真下に神聖な龍穴がある。大和の室生龍穴や備前の龍穴と共に日本三大龍穴の一つとされている。」と有る。
日本三大龍穴に、備前の龍穴 (瀬戸内市・岡山)と報告されている。
日本三大龍穴の一つが瀬戸内市内にあることを知る人はいない。
長船町磯上の龍穴伝承は完全に忘れられている。
日向石神社の日向を調査していて、備前市日生の地名の由来に注目した。
『角川日本地名大辞典 岡山県』には、「日生(ひなせ)、古くは「ひなし」と称したという」とある。
『分県地図33岡山県』では、日生の範囲は明確ではないが、磯上の真東より10度ずれて日生がある。
中西厚氏は5万分の1の地図を見て、真東と説明される。
『磯上の古道を歩く』の日向石神社(石上神社)の説明に、「この土地は天王といわれている。」とある。
この天王(てんのう)の解読が、日向石神社が石上神社であることを証明した。
調査内容を先史学と地名学で報告する。
http://kiwarabi.html.xdomain.jp/
最新更新日2019/02/09