最新更新日2018/07/15
戦争を考える 小松航空機製作所
平成20年10月に実家で1枚の古ぼけた封筒を発見しました。
それは戦時中の鰹ャ松航空機製作所の封筒でした。
所在地が私の本籍地でした。
|
小松航空機製作所の現地調査のために平成20年12月20〜22日に石川県小松市を訪問し ました。
『鰹ャ松航空機製作所 調査・中間報告書(平成20年11月27日)』の確認が目的で
す。 |
私のホームページを元にして、北国新聞小松支社の中野尚吾記者が詳細に追跡調査されました。 平成21年8月15日に大きく特集記事として 北国新聞の紙面に取り上げられました。 しかし、戦時中の航空機産業の情報は最高の軍需機密です。 記録は、戦後全て焼却処分されたようです。 |
戦後69年 軍需工場はいま 朝日新聞石川版 平成26年8月15日 3 『軍需工場はいま・ 製造、爆撃逃れ地方へ』 平成26年8月16日 4 『軍需工場はいま 小松航空機製作所 調査報告・ 黒塗りの下事跡の念』 平成26年8月25日10 「武力解決国を滅ぼす」 山村勝郎・金沢大名誉教授(89)語る
〜*記憶ますます重要に*〜 なぜ空襲を免れた金沢で不発弾が見つかるのだろう。 そんな疑問から始めた取材で、石川でも多くの民間人が、産業分野で戦争に関わっていることを知った。 訪れた小松の玩具店は戦時中、航空機の部品工場になっていた。 店を経営する男性の父親は戦後、多くを語りたがらなかったという。 工場の前で撮った集合写真も、軍需工場だったことを裏付ける看板の部分が黒塗りになっていた。 直接的ではないかもしれないが戦争に関わった人たちの、心情の一端だと感じた。 来年、戦後70年を迎える。当時を知る人たちの記憶がますます重要視されている。 「いまだからこそ、重い口を開くときだと思う」。 自宅が軍需工場だったことを突き止めた男性の言葉が印象に残る。 戦災がなかったといわれる石川でも、証言や過去の記録から学ぶ意義は、間違いなくある。(小川崇)
|
http://www.geocities.jp/ki_warabi/index.htm 最新更新日2018/07/15