最新更新日2018/07/29
古代山城と姫氏(きし)
草ケ部 大巡り小巡り山城の考察 古代山城名の推定 菊山城 古代の迎賓館説
これが初見であろう。古代山城名の推定として「菊山城」説がある。中西厚説である。 大廻り小廻り山の山裾にある瀬戸町菊山(きくやま)に注目された。「菊山は山裾にある地名である。 山ではないのに、何故、山がつくのか。」である。古代山城には、「キ」の字の付く山城が多い。 「播磨 城山(きの)・讃岐 城山城(き)跡・備中 鬼ノ城山城(きの)・肥前 基肄城(きい)・肥後 鞠智城(きくち)と、「キ」の付く山城が5 城ある。 「キ」は「城・鬼・基・鞠」と表記されている。「キ」は何を意味しているのかに2 説ある。1 説は「キを城とする古代朝鮮語説」である。 しかし、古代朝鮮語と称されるのは、10〜15 世紀に使用されていた中世の高麗語である。古代朝鮮語の音は不明である。 最初に「キ」の付く山城に注目されたのは葛原克人氏(岡山県古代吉備文化財センター)である。 「キとは百済の古語で城そのものを指す表音といわれる」としている。
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姫社神社(岡山県総社市福谷字福中)の姫社という名前に注目している。 上田正昭氏(大阪女子大学学長)の『東アジアと海上の道古代史の視座』に、「十数年前に山陽放送の依頼で史跡ゆかりの伝承を調査している際に、 岡山県総社市の秦村福谷、秦という地名も注目すべきであるが、姫社(ひめこそ)神社があるということを聞いた。 この地の小幡さんというお家、古い居住者なのだが、そこへおじゃまして文書を見せていただいた。 その文書にも室町時代にヒメコソ祭りの行なわれていたことが記されてあった。 少なくとも室町時代にはこの姫社神社の祭りがあったということは間違いない。」とある。
しかし、この古文書は公開されていない。
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秦王国の所在地と秦氏の祖・弓月君の故郷 弓月国の考察
秦氏の初見は608 年の『隋書倭国伝』の秦王国である。 秦王国は『隋書』「列傳第四十六東夷・倭国」と『北史』「巻94 列傳第82」に記録されている。 『隋書倭国伝』について検証し、『北史』については「文字の校定以外には資料価値を認めなることができない」との評価があり検証しない。 秦王国の所在地と秦氏の祖・弓月君の故郷弓月国について考察する。
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吉備津神社に七十五膳据神事という献饌行事がある。 備中国内の諸郷から新穀をはじめとする産物を一宮である吉備津神社に献納し感謝するお祭りと説明されている。 300メートルに及ぶ廻廊の端にある御供殿(ごくうでん)から、七十五膳や神饌、神宝類、奉供物を前日までに準備し、
それぞれの膳には春は白米、秋は玄米を蒸して円筒形の型にはめて作った御盛相(おもっそう)を中心に鯛や時節の山海の珍味で四隅をはり柳の箸がそえてある。
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出雲地方では出雲大社、佐太神社、日御碕神社、神魂神社、売豆紀神社、多賀神社、朝山神社、神原神社、出雲大社北島家の「龍神講祭」と、「万九千神社」でも、 旧暦10 月に、海辺に打ち上げられた背黒海蛇を神の使いとして奉納する神迎祭という儀式がある。 暖流に乗って回遊してきたセグロウミヘビが、ちょうど同時期に出雲地方の沖合に達することに由来すると説明されている。 出雲大社の社紋「亀甲紋」は龍蛇神・セグロウミヘビの尾に浮かぶ亀甲模様が原型とされている。 なぜ、セグロウミヘビと神在祭という儀式が結びつくのか。
龍蛇(りゅうじゃ)から見えてくる出雲の神在月と神迎祭について考察したい。 |
http://www.geocities.jp/ki_warabi/index.htm
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