最新更新日2018/07/30
https://matome.naver.jp/odai/2138121261106530301より
11月に光南台公民館で講演します。
キルギス共和国と日本
日本の国旗と一番似ている国旗は、キルギス共和国で す。キルギスでは「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚を好きな者は東に渡って日本人となった。」と言われてい ます。
キルギス人と日本人は顔がそっくりです。
在京キルギス大使館の開館は平成16年4月22日で す。
『陶山系譜』(瀬戸内海歴史民俗資料館蔵)に、「黄蕨」備中古名とキハラとの記述があります。この「黄蕨を突厥国からの渡来人」と解読しました。
『古事記』(712 年成立)の国産みにおいて、イザナギ・イザナミが大八洲を産んだ後、兒嶋、小豆島(あづきしま)、大島、女島、知訶島(ちかのしま)、両児島(ふたごのしま)を産 み。
『日本書紀』(720 年成立)には吉備子洲(きびのこじま)、子洲(こしま)とあります。
何故、国産み神話に兒嶋が収録されたのかを考察し ます。
吉備国の語源「黄蕨」を調査していて、黄蕨(吉備)国と越前国が強く結びついている事実を発見し ました。
氣比神宮(福井県敦賀市曙町)末社擬領(おおみやつこ)神社と化氣神社(岡山県加賀郡吉備中央町案田)で す。
祭神より黄蕨(吉備)国との関係を考察し ます。
吉備国の語源「黄蕨」を調査していて、黄蕨(吉備)国と越前国が強く結びついている事実を発見し ました。
氣比(けひ)神宮(福井県敦賀市曙町)と化氣神社(岡山県加賀郡吉備中央町案田)で す。
前国一宮 氣比神宮境内池に遺址として「土公」があります。この「土公」を『敦賀郡神社誌』は、「保食神(うけもちのかみ)降臨の地」としてい ます。
『気比宮社記巻一 宮社神伝部上』に「保食大神、保食大神御別号」とあ ります。
川上神社(小田郡矢掛町小田有木谷)は、岡山県神社庁に登録されていない小さな神社で す。
矢掛町史にも記録されていない、この神社に絵文字が伝承されています。未だ解読されていない絵文字です。
私は有木谷という地名に注目してい ます。
「阿比留(アヒル)文字では無い」との野崎 豊先生の教示を受け、8月30日に御案内いただきました。
@なぜ銅鐸は土中に破棄されたのか。
A銅鐸生産地は何処か。
銅鐸の出土地から操山と古代の吉備(黄蕨)前国を考察し ます。
地名学と神道史と植物生態学による考察です。
吉備(黄蕨)国・高嶋宮伝承の解析
『日本書紀・古事記』による日本神話は高天原・出雲・日向神話に分かれています。吉備高嶋は日向の高千穂、大和の橿原と並立すべき日本神話の聖地で す。
戦後の古代史学・比較歴史学の津田左右吉は、応神天皇以前の話を全くのフィクションと考え ました。
井上光貞は文献史学と考古学と民俗学の三つの学問を組み合わせて歴史を研究することを目的として国立歴史民俗博物館を構想し ました。
岡山県では神武天皇が、吉備国(黄蕨国)の高嶋宮に3 年間(古事記:8 年間)とどまり東征の軍備を整うとされています。吉備国(黄蕨国)高嶋宮の主要候補地は吉備国(黄蕨国)に4 ヶ所あ ります。
『陶山系譜』と『先代旧事本紀大成経七十二巻本』により高嶋宮伝承を解析し ます。
備前市文化協会『創立25周年記念誌わがまちの文化遺産』で、大内神社(備前市香登本)の古代文字を知 りました。平成22年6月21日に延原勝志氏より古代文字の写真が送付されてき ました。
香登の初見は、『続日本記』文武2年(698)四月壬辰条「佚儒備前国人秦大兄。賜姓香登臣」で す。
大内神社社記に「大宝年中(701〜704)香登臣秦大兄修繕」との記録があ ります。
岡山県史編年資料は、「備前国の人秦大兄に香登臣を賜姓する」と説明してい ます。
元禄16年(1703)建立の本殿は備前市指定有形文化財であり、弘安8年(1285)備前国百廿八社神位付神名帳の和気郡九社の中に正二位大内大明神とあ ります。
高島おきよ館に河田浩二氏所蔵の青銅剣が展示されていました。
紺谷亮一氏(岡山市立オリエント美術館・現ノートルダム清心女子大学)の鑑定では、「青銅剣は3000年前のイラン製 極めて貴重」で す。
長さ75.6cm、重さ1.2Kg、柄頭に穴のある扇状の突起二つが付いているのが特徴で す。
実戦用ではなくて礼用と鑑定されています。
吉備津神社石柱の注連柱の「黄薇」に注目しました。
吉備の中山を語る会会員より「犬養木堂の書であ り、宮司様に質問するように」との助言を得ました。
http://www.geocities.jp/ki_warabi/index.htm 最新更新日2018/07/30