最新更新日2018/07/30
明治初期の「キュポラ」と熊山遺跡出土陶製筒型容器は同一形状です。
「鍛冶技術者で名は卓素を献上した。」とあり、鍛冶技術は渡来人による技術であるとの記録です。 陶製筒型容器の原型は古墳時代の鋳物溶融炉ではないか。」との大井透氏説を検証しました。 大井透氏説は、諏訪の百瀬高子氏(古代史研究家)説を基礎としています。 百瀬高子著『御柱祭 火と鉄と神と-縄文時代を科学する』を検証しました。
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たたら研究会・平成25年度岡山大会(平成25年12月7日)に参加しました。 発表内容は「吉備地方における最新の鉄・鉄器生産研究」でした。 上栫武氏「弥生時代吉備の鉄器生産」に続いて岡山県古代吉備文化財センターの氏平昭則氏、杉山一雄氏、金田善敬氏の発表がありました。 中西厚氏から「30年前に発見している製鉄遺跡を探しに行きましょう」との誘いを受けて、二人で「中尾・大膳池製鉄遺跡」を12月12日に現地確認しました。
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吉井川右岸の貝塚の現状を調査していて、草ケ部の法追(ホウエ)貝層を知りました。 平成25年12月20日に草ケ部の法追(ホウエ)貝層を中西厚氏に案内していただきました。
法追貝層は貝層であり貝塚ではありません。
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小野伸氏の「西大寺新発見の縄文時代貝塚」の考古学研究会第60回総会・研究集会(岡山大学 2014年4月19・20日)での「発表」が決定しました との連絡が遠部慎先生(北海道大学埋蔵文化財調査室)からありました。 「西大寺新発見の縄文時代貝塚」とは、私の住む金山団地町内会で発見された「金山西貝塚」のことです。 発表者は小野伸・畑山智史・遠部慎氏の3人です。 この機会に吉井川右岸の貝塚の現状を報告します。 12月12日に沼貝塚と竹原貝塚、12月20日に草ケ部の法追(ホウエ)貝層を中西厚氏に案内していただきました。
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私が住む町は金山団地町内会で す。団地の裏に金山と呼ばれる小さな丘陵があ ります。 現在、金山の大半が岡山学芸館高校(岡山市東区西大寺上1丁目19)の敷地になってい ます。 この金山について考察します。 金山に関する論文は山陽新報に、明治41年3月9日、16日、23日の3回連載された沼田頼輔氏(1867−1934)の『金山の古今』のみで す。 沼田頼輔氏とは西大寺高校の前身、西大寺町立高等女学校の初代校長で す。 退官後、明治44年から山内侯爵家史編纂所主任となり、大正15年「日本紋章学」で学士院恩賜賞を受賞してい ます。
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備前西大寺の祇園宮荒神社(岡山市東区西大寺中野本町・於亀荒神社)に「オマット供養」 と呼ばれる祭が伝承されてい ます。
オマットの語源は「御的」です。御的神事は全国的な神事です。
他所の御的神事と比較しながら於亀荒神の「オマット供養」を考察し ます。
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http://www.geocities.jp/ki_warabi/index.htm 最新更新日2018/07/30